現在日本の財政事情は、234兆円の国債残高、136兆円の地方債、旧国鉄未清算分28兆円、さらに、特別会計での残高部分を抱え、450兆円以上の累積債務があります。その金額はGNP90%にも相当し、現代日本が深刻な財政破綻に直面していることは周知の事実。

 

それが故に、財政再建を目標とした 行政改革なるものが政治課題として取り組まれ、従来の仕方の変化から仕組みの変化の構造改革を目指すとされています。その政策決定プロセス が政治交渉の追従の連続であり、現在の累積債務の発生が行政主導型規制策と保護政策の保身誤謬によってもたらされたことも事実です。

 

そのなかで、社会保障制度も無縁であるわけもなく、医療保険、医療費総額は27兆円となり、年間5〜7%の増加を認められることから、2025年には141兆円と厚生省は試算しています。

 

このことから、財政支出抑制と国民負担率増加の方向性を目標とした改革案が提示されています。こうした財政の全般的な動向と同時に、医療福祉の大幅な財源的経過と枠組の変換を迫られており、それを受けて医療の現場の対応がなされていると思われます。

 

 

なぜ、今医療経済なのか

 

上で述べたように、財政的背景の変化に伴い右上がりの成長期に見られた財政拡大政策や方向性は、量的縮小と質の再評価が行われるようになります。このことは、3つの論点があります。

 

医療分野に配分される資源

第1は、医療分野に配分される資源の問題です。国家財政に代表される財政資源は、単に医療保険にのみ消費されるのではありません。国防や教育、公共投資等、国家としてまた国民生活の基盤に必要な部分にも配分される必要があります。

 

さらに、医療保険費に配分された資源は、その分野で適切な分配が行われる必要があります。この2つの議論は、配分の効率化と生産の効率化によって解くことが必要になってきます。すなわち、資源配分の問題を考えた時でも、全ての患者を救うためには、他の分野への支出を制限しても医療保険分野への資源投入が不可欠であるとの議論があるのです。

 

しかし、この論理には少なくとも3つの問題点を内在しています。第1は国家や政府の目的は、国民に医療を行い、医療保健的に優れた国にすることが第1優先されるのかどうかです。仮に、医療費に無制限の予算を配分する代わりに、食糧や石油の確保や、治安や国防等の他の分野への費用負担が大幅に削減されます。

 

その結果、国民に充分な食料や安全な市民生活が困難であるならば、最終的には国民一般の健康水準が低下することとなり、このことは、国家や政府として充分な政策遂行ができなかったことになります。

 

医療費の分配

第2点は、医療費の分配の問題です。治療や予防を必要とすべき疾患は莫大な数に上ります。この全ての疾患に充分な治療費の予算枠と支払いを組むことが理想であったとしても、現実的に資源は有限です。

 

仮に、腎不全患者の治療を最優先し、癌や糖尿病への費用負担を削減することが倫理的・論理的に可能なのでしょうか。癌や糖尿病の患者の治療より腎不全患者の治療が優先され、費用負担増が必要であるとする論理的説得力のある説明がなされるのでしょうか。

 

医療・保健への資源負担に伴う経済の活性化

第3の点は、医療や保健に資源負担をすることは、経済全体を考えた場合、負担された資源は他の分野への消費に向けられ、経済を活性化するのではないかという議論です。この課題は、一般的にケインズの有効需要論にも見られる景気循環理論に接近した考え方です。

 

しかし一方、瀬岡は医療費に経済が持続可能な臨界水準が存在し、一定域の医療費の増加は経済を破綻させるとする議論があります。そして、医療費の臨界水準は国民の貯蓄率の増加関数であり、貯蓄率が高いほど医療費の臨界水準は上昇し、経済も安定的になるとしています。

 

こうした点より考えて、日本の医療費臨界水準に基づいて計算された国民負担率は、29.8〜34.7%と計算されていますが、一方で、実際の国民負担率は、39.6%と計算され、すでに臨界値を超えている可能性すらあります。こうした時、さらに医療費の増額は国民負担率の増加、すなわち貯蓄の減少を来す結果となり、経済の活性化とは逆の方向を示すと考えられます。

 

 

医療経済が目指すもの

 

医療の効率化

医療費が有限資源であり、その過剰な増加が国家経済にも大きな影響を与えるとするならば、当然医療資源の効率化と考える必要があります。しかし、効率化は単に費用削減や抑制を意味しているのではありません。資源の投入量と得られる効用を効率的に行おうとする考え方から必要と思われます。そのための接近方法として、生産効率(product efficiency)があります。

 

生産効率は、得られるべき効用のための最小投入資源量の算定のことで、配分効率とは最大効用の獲得を公正、最適に行うための資源配分の策定と考えられています。こうした効率性を追求するために経済学的手法が用いられます。

 

しかし、医療とは、医師と患者との信頼関係に立脚した倫理的規範の中に成立し、従って計量化された効率や効率かを考えること自体が問題であるとの議論があるのです。確かに、医師がその診療行為を利潤最大化のみを追及するとするのは現実的でないかもしれません。さらに、職業的倫理観は、診療を通して患者の最大効用獲得を優先させるとの主張もあります。

 

ただこの議論の危険な点は医師の患者に対するパターナリズムを型作ってしまうところにあります。さらに、医療が社会化されずいつまでも専門家としてのアートや職人芸として終わってしまう可能性を持っているのです。

 

一方において健康保険制度等の純社会的、経済的基盤を享受し、そのなかで道学者たらんとするのには多くの無理が生じます。すでに、池上ら(日本の医療,中央新書, 1996)が指摘するように、日本の医療の問題点は江戸時代より医療を社会政策として組み込まず、職業的倫理による規範のみで社会の埒外におき、すなわち、「医は仁術」とする建前で医療を提供させ、職業的結束よりも師弟関係等による縦型構造を形成させたのです。

 

このことは同時に、欧米で見られるようなキリスト教的博愛・慈善による医療施設の設立を生まず、さらに明治維新後、西洋医学を導入した際にも、医療機関は医師に帰属し、患者ケアーを主体とする病院機能は二次的なものと位置づけられました。

 

しかも、多くの病院で見られるように、従業員としての医師は、大学医局より派遣や世話で配置され、医療機関帰属性よりも大学医局の家父長制に統制される傾向が強いのです。この傾向は、現代なお強く医療界に残っており、それが故に専門医間の横の連携は学会レベルを超えることができません。

 

さらに問題は、大学医局に象徴される家父長制度で重視されるのは医療レベルよりも医学研究レベルです。この事実は、専門医取得よりも医学博士の方が社会的認知程度が高く、そのため臨床より研究が優先され、プライオリティーも高いと考えられています。

 

こうした日本の医療基盤の中で、医療技術や医療機関の効率化は至難の業に近いわけです。さらに日本には、公的医療施設と私的施設がその機能分担を明確にしないまま稼動しています。確かに地域医療計画や病院機能分担等の行政的方向性は示されていますが、医療よりも医学を重視するのと同様、かかりつけ医よりも高機能病院が高い地位にあると考えられていることから、CTやMRI等の重装備の診断器具さえもが中小医療機関で購入され使用されているのです。

 

効率化測定の指標

Donabedianは、医療を3つの側面より評価できると述べています。第1は、医療機関の構造的要素、すなわち施設規模や診断・診療器具の装備の状態、そして技能を持ったスタッフの数や質の評価。第2点はこれら構造的要素を用いて、診断や治療を行う過程的要素。そして最後に、こうした構造的過程的要素を用いて得られる成果の評価です。

 

構造的、過程的評価は比較的計量化しやすいために、病院機能評価等でも繁用される手法でもありますが、成果の評価は治療施設で特定の疾患の治癒率、死亡率、再発率等の統計的評価、そして患者満足度という非常に計測の困難な項目を評価しなければなりません。さらに、効率性の評価では、計量化された資源の投入とそれによって生み出された産出を求めることで効率化の評価の指標となり、この方式には、3つの費用分析が考えられています。

 

そのうちでも、費用効果分析は、投入サービス量を費用と換算し、産出された成果を効果と見なして効率性を比較します。そのうち、Quality Adjusted Life Year QALYは、 1970年代にアメリカとカナダで使用された指標であり、治療の健康改善状態を評価しようとするものです。また、Disability Adjuted Life Year DALYは、個人の年齢によるウェイト付けを行って比較しようとするものであり、これらを医療の質の評価として用いようとします。

 

しかし、QALYにしてもDALYにしても、投入されるサービス量、さらには産出された効果を比較するのに時間選択率のみで補正を行っているため、20歳と60歳の人の健康改善度は大きく差が生じ、治療に要する費用が同じであれば、若年者への資源投入が効率的になってしまうことが指摘されているのです。事実、英国では70歳以上の腎不全患者は、透析導入を受け入れられていないことが実例としてあげられる等、課題のあることも事実なのです。

 

医療費用と薬価基準

こうした医療の効率化への接近は、欧米では試行錯誤的に行われていますが、日本では健康保険制度下で医療サービス価格が一定のため、厳密な意味でのコスト計算はされていません。

 

最近、厚生省の外郭と目される医療経済研究機構では、中央社会保険医療協議会診療報酬基本問題小委員会で、現在の診療報酬は原価主義との乖離が見られ、医療費原価を測定し診療報酬に適切に反映させるべきとの提言がなされ、そして、「診療行為」「入院」「診療科」を原価構成の単位としての医療原価算定の研究がなされました。

 

その結果の詳細は、それぞれの報告書を参考いただくとして、結論的には今までの健康保険薬価の決定が医療機関規模別の全体収支より総枠を決定し、その後その枠内で、技術料や薬価の価格決定が行われています。

 

そのため医療原価とは全く関係のない価格設定も放置されていました。したがって、今回の原価算定を基礎とする薬価の策定は、医療現場の実態を踏まえ、価格設定をする方向性は是認できます。

 

しかし、「4病院における患者特性別原価調査」「5病院における診療科単位の原価調査」等の結果を見る限り、会計学的さらには工業簿記的原価算定が、医療の実態を把握できるのかを疑問に思われます。
例えば、CTの総原価と診療報酬点数との関係、さらに MRIとの関係を見た場合、原価のばらつきは想像以上に大きく、さらに、5病院間での診療科単位原価で、最大・最小に200%以上の差が認められています。

 

こうした原価算定のばらつきは多くの要因で発生します。例えば、今回の場合でも、地域差、設立母体施設規模等を考慮しておらず、労務費の1つをとっても、当然、都市部と郡部では時間単価の労務費は大きく違っています。さらに、共有部分である事務費や中央器具の費用の按分等正確な原価算定をするには問題のあるところが多いのです。

 

しかも、結論として、医療費を包括化するDRGに準拠した考え方が日本の場合にも適応できるとするのは、”定額制度ありき”を前提にした原価算定と言えます。しかし、日本において検討に耐え得る医療原価測定の実証的研究は、どの学術団体、研究所、さらには大学においても実施されてはいません。

 

1983年に米国のメディケア・パートA(入院サービス、ホスピタルフィー)に適用されたDRGは、エール大学の実証的研究を基に発展してきました。エール大学ではその基礎的段階で、全米の 332の病院を抽出し、 140万人分の診療録を採取した。そしてそれを 40万人分の層化サンプルとし、 23の主要診断カテゴリーに分類し、さらに、 1.主要診断、 2.2次診断、 3.手術の有無、 4.年齢、 5.性別、 6.退院時状態等に細分し、入院日数との特徴づけを行い、効率化の指標としました。

 

さらに、DRGでは、その算定値が実態を反映したものとなるように、診療パターン、医療技術の変化に対して広く年度毎の見直しと改訂が行われています。

 

こうした実態に比較し、日本の医療制度と診療報酬制度が厚生省と利益団体との追従の間で薬価が決定され、医療機関はその枠内で経済的効果を追求する構図になっています。少なくとも今医療の効率化適正化を目指すのであるとするならば、その基本的な基準となる医療原価を実証的に算定する必要があり、本当の意味での医療の成果を正確に計測する必要があるのではないでしょうか。